1. しかし、この両軍を代表する狙撃の名手による対決という逸話は、「ケーニッヒ少佐」または「トールヴァルト大佐」なるドイツ軍将校が、ソ連側のプロパガンダの中に登場するだけでドイツ側の記録に該当者が存在せず(そもそもベルリンにはドイツ軍の狙撃兵学校自体が無かった)、現在に到るまで実在が確認されていない人物である点に加え、ソ連側においても、特筆すべき出来事にもかかわらず当時の戦時日誌やNKVDへの報告書に記載が見当たらないという事実から、名狙撃手ザイツェフを英雄としてより引き立てる為のソビエト連邦当局による創作という見方が一般的である。